★★★ コース NO.36
元郷から臼杵山、グミ尾根、荷田子峠、戸倉城山 /戸倉三山の最高峰から一揆で築いた城山へ/
1. 臼杵山842.1m
2. 戸倉城山434.1m JR武蔵五日市駅→西東京バス17分→元郷バス停→30分→尾根に上がる→50分→第2テレビ中継アンテナ→30分→臼杵神社30分→臼杵山→30分→伐採地→40分→グミノ木山(グミ御前)→30分→荷田子峠→40分→十里木分岐→20分→城山→20分→十里木バス停→西東京バス10分→JR武蔵五日市駅 (歩行時間/約5時間30分)
登山道グレード/★★ 体力グレード/★★★ 技術力グレード/★★ 総合コースグレード/★★★
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低山ながら縦走は健脚向きの三山
戸倉三山は臼杵山、市道山、刈寄山の三山を総称していう。低山ながら一気に縦走するのは健脚向きだ。三山で一番標高の高い臼杵山へ登り、北東にのびるグミ尾根から戸倉城山へ縦走するコースを歩く。低山とはいえ眺望の利くところも多く、楽しめる尾根歩きである。
JR武蔵五日市駅から数馬行きのバスに乗り、元郷で下車する。ここがすぐに臼杵山登山口になっていて、商店の横に大きな案内標識がある。山道は最初からいきなりの急登で一汗かかされる。
フェンスに沿った沢沿いの道は堰堤を巻き、やや暗いスギの植林帯を抜けてコル状の地点まではジグザグの登りが続く。春から秋はいろいろな草花が咲いて気持ちを和らげてくれる。登り着いた鞍部に、倒れた標識が左方向へ臼杵山を指している。トラバース気味に細い道を登って行く。尾根に出ると、右下の採石場やバイクの騒音が聞こえる。スギの植林と
雑木林の間の尾根道をゆっくりと登って行くが、風が心地よく快適だ。
右手の木々の間から市道山が見える。石灰の露岩を越えると再び急登になる。休憩にちょうどよい小平地に出ると木漏れ日が美しい。秋は、コナラのドングリやキノコが沢山ある。尾根を忠実にたどるとソーラー設備のテレビ中継アンテナがある。さらに登ると傾斜が落ちる。「檜原村ハイキングコース」と書かれた看板の先に作業用のモノレールが右から左に横切っている。レールを跨ぎ、かなり上まで続くレールに沿って尾根を登る。798mのピークまで急登すると、ふたつ目のテレビ中継アンテナが現れる。北面の木々が伐採されて、ここでレールは終る。五日市の街を手前に、大岳山から馬頭刈山、高明山まで、馬頭刈尾根の山々が横一列に連なり素晴らしい眺めだ。
臼杵神社は養蚕の守り神
岩交じりの急登の傾斜が緩み、周囲が丈の短い笹原で歩きやすくなると臼杵神社の祠の前に出る。臼杵山の北峰にあたる地点である。養蚕の神、臼杵権現が祀られた両側に狛犬が見える。さらに祠の両側にも犬のような像があるが、近くの木に付いている標識には猫碑とある。
前方にいるのは狼で、祠の両側はどう見ても猫より犬である。かつて祠の両側はどう見ても猫より犬である。かつて檜原村は養蚕が盛んで、鼠を嫌って天敵の猫を祭ったという。樹間からは西に三頭山あたりの山がわずかに覗く。
南に進んですぐ、荷田子峠への分岐標識があるが、そのまま南に登り返すと小さな広場のある臼杵山の南峰で、平日はほとんど人に会わない静かな山頂である。頂上からは東面が開けて広く関東平野が眺められる。西武ドームの屋根が光り、右方向には都心の遠景も見える。背後は暗い植林地だ。臼杵山は鹿が多いことから鹿ン丸とも呼ばれる。この先、南へ行くと市道山から刈寄山へと続く。
グミ尾根を下る
戸倉城山へは、先ほどの荷田子峠への分岐まで戻り、分岐標識から北東に延びるグミ尾根を急降下する。荒れた道は歩きづらい。ここから、あきる野市(旧戸倉村)に入る。左は暗いヒノキの植林地で、草が茂る道から緩やかになる。あまり歩かれていないようだ。
登り返すと右側が大きく伐採された見通しのよい場所に出る。下方に盆掘川沿いの大きな採石場を見下ろし、南東に刈寄山や今熊山の眺望が広がる。伐採地には広葉樹の苗が植えられている。
盆掘川方面に下る道を見て、しばらくは南面が開けた尾根筋をたどる。ようやく左に折れて植林帯の道を下る。左右にピークを巻きながら下って行くとベンチとテーブルのある場所があり、ひと息入れるのに最適だ。この先で尾根の左側が開け、縦位置に圧縮された馬頭刈尾根や御前山が見える。足元にはアキノキリンソウやセンブリが咲く。尾根が左に曲がる地点に崩れた石碑と祠があり、薄い字で戸倉茱萸御前(とくらぐみごぜん)の名が読める。昔はグミノ木があったそうで、グミノ木山とも呼ばれている。
眺望のよい戸倉城山
ここからは左に折れて直進しない。アップダウンしながら一気に荷田子峠へと下る。やや疲れを感じる頃に着いた峠は狭く眺望はない。北に20分も下れば荷田子のバス停に下山できるが、さらに戸倉城山まで尾根を進む。小さなコブを越えて上下する標高400m前後の山道は、思いのほかきついアップダウンだ。盆掘山(391m)に眺望はない。左に90度折れ、モミの木が目立ってくると十里木の分岐に着く。帰路は、ここからバス停に下りるので、荷物は置いて戸倉城山まで往復する。正面に巨大な高圧鉄塔が2基立っている。鉄塔の直下を潜り、左上の尾根に向かうと石垣が見えてくる。樹林帯から北面が開けると戸倉城山の山頂に立つ。五日市の街が街道を中心に広がり、秋川の流れが続いている。ベンチがあり、かつての山城も今は市民の憩いの場になっている。戸倉城は、戦国時代、上杉氏の庶流で、武州一揆の主要メンバーであった小宮憲明により築城されたという。上杉氏が没落すると北条氏が支配、北条氏に家督を譲った大石定久が隠居の地として戸倉城に住んだと伝わる。
この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図(タイル)を複製したものです。(承認番号 平29情複、第719号)