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『会報・山』『山岳』の合本・製本の完成報告 12245 富澤 克禮(奥多摩BC運営委員

1・はじめに

2024年7月6日、合本・製本された『山岳』13冊を受け取り4年に亘る作業が終わりました。    『会報・山』 『山岳』は、支部会員である濱野弘基さん(会員番号15573)の仲介で、浜野さんが勤務されていた施設に入所していた酒井田曻氏(会員番号6340)から2017年5月にピッケル、アイゼン、鉈、鋸、ワカン等と一緒に当支部に寄贈されました。特に、ピッケルは、札幌門田製、仙台山内製、二村製等の貴重なもので、今も奥多摩BCで常設展示をしております。しかし、他のものは、什器備品台帳に記載され毎年棚卸が実施されきちっと管理されているものの、会員の皆様の目に触れる機会もなく保管されておりました。特に、『会報・山』、『山岳』は、ほとんど製本されてなく、総部数は把握しているものの、具体的にどの様なものがあるのかも把握されてなく、紙も茶色に焼けており、散逸の危機に瀕しており、気になっておりました。

2.『会報・山』の合本・製本について

支部設立から10年経過した2020年。「設立以来の支部の動きを広報・記録してきた支部報『たま通信』が散逸しないように合本・製本を」との意見が石井秀典委員から出され、これを実施しました。これを機に、気になっていた寄贈品の『会報・山』を製本・合本することを決意、計画的に予算措置をし、次のとおり3年間に亘り実施しました。なお、「会報」が、最初に発行されたのは、日本山岳会設立25年後の1930(昭和5)年10月です。                                     2021年度 4冊  1号~ 50号、 51号~100号、251号~300号、301号~350号          2022年度 4冊 201号~250号、351号~400号、401号~450号、451号~500号         2023年度 8冊 501号~550号、551号~600号、601号~650号、651号~700号            701号~750号、(酒井田氏からは718号まで、それ以降はJACの在庫品を)               751号~800号、801号~850号、851号~900号                          これにより、101号~200号を除き、最近までの号の合本・製本が完成しました。なお、 101号~200号は、戦争中から戦後にかけての混乱期であり、諸事情から酒井田氏もこれ等を入手することが出来なかったことが推測されます。因みに、101号は、1941(昭和16)年、200号は、1958(昭和33)年です。なお、文中で「会報」について、『会報・山』としましたのは、その紙名が、途中で変わったからです。最初に発行された1930(昭和5)年10月の創刊号の紙名は、「会報」です。途中、終戦直後の1946(昭和21)年133号~137号まで「山」の紙名になりましたが、138号からまた「会報」に戻り、1966(昭和41)年258号から再び「山」の紙名になり、現在に至っています。これは、郵送料節減のため第三種郵便物の認可を得るための必要条件だったようです。また、全900号の中に、1冊だけ全面カラーの号があります。2003(平成15)年9月の700号の記念号です。カラー全盛の時代に、何故、今でもモノクロでの紙面なのか。ある会合の講演会で全面カラー当時の編集長であった今村千秋氏が話されていたことを思い出しました。

3.『山岳』の合本・製本                                   『会報・山』の合本・製本の完成に続き、『山岳』の合本・製本の準備に取り掛かかりました。現物のチェックをする中で、おおよその見当で約10数冊になることが分かってきたので、思い切って2024年度に全て完成させることを計画。予算請求を行い、予算も認められ計画とおり実施できました。寄贈された合本・製本済の15冊と合わせて32冊になりました。『山岳』が最初に発行されたのは、日本山岳会設立の翌年の1906(明治39)年4月5日です。残念ながら、第1年(1906年)から第4年(1909年)までの山岳会創設期のものはあリません。一番古いもので、第5年第2号1910(明治43)年です。なお、欠号は、全体で22冊です。欠号の詳細は、下記表をご覧ください。

4.寄贈者の酒井田曻氏について                                  寄贈者の酒井田曻氏(会員番号6340)は、「山」1967(昭和42)年12月270号によると、日本山岳会への入会は、1967(昭和42)年10月で、中野区上高田在住、紹介者は、松田雄一、飯野亨の両氏です。退会の年月については、「山」の人事異動の退会欄を探しましたが、名前が見つかりません。小生の手元にある2003年の会員名簿によると当時は、立川市柴崎町在住です。しかし、2008年の会員名簿には、その名前がありません。寄贈された『山』の最終は、2005(平成17)年3月718号です。また、寄贈された『山岳』の最終は第99年で2004(平成16)年12月4日発行です。そこから推測すると2005年3月頃退会されたことが推測されます。仲介者の濱野弘基さんと酒井田曻様との関係は、「寄贈者 酒井田様との出会い」をご覧ください。                       

                                                          

5.むすび                                            今回の一連の作業を通して感じたことは、日本山岳会草創期の人たちの熱意と全ての分野でのレベルの高さです。その次の世代の人達も、またこれを忠実に引き継いでいることが読み取れます。整理作業をしていると、紙面に日本山岳会草創期や次の世代の著名人の記事がたくさん出てきます。思わず、そこで手を止めて読んでしまい、作業が遅れ気味になることも、しばしばでした。また、総会、集会、山行等の報告では、参加者の名前がフルネームで記載されているため、資料として信憑性があることを再認識いたしました。今回の合本・製本では、JAC本部事務局の田村典子さんには大変お世話になりました。 特に、『会報・山』の合本・製本では、整理をしてみると多くの欠号がありました。それらには、本部にある在庫を提供していただきました。また、在庫がない場合は、HPからプリントアウトしていただきました。田村さんは、今回の『会報・山』の合本・製本完成のすぐ後に、JACを定年退職されました。本当に、ありがとうございました。また、今回の『山岳』の製本・合本作業の中で大変役に立ったのは、「日本山岳会百年史です。その中の、南川金一さんが書かれた「『山岳』の百年」とその年表には助けられました。古い『山岳』には、通番がついておりませんので、これがなかったら、暗中模索で、作業は進まず、途中で投げ出したかもしれません。また、南川さんが書かれた「『会報』の発行」の「二 戦中・戦後の『会報』」欄からは、今回101号~200号が欠号になっている理由を読み取る事ができました。「日本山岳会百年史 」に南川金一さんが書かれた「『山岳』の百年」と「『会報』の発行」の2篇は素晴らしい資料です。これからの東京多摩支部の会員の中から、合本・製本された『会報・山』や『山岳』を手に取り日本山岳会の文化や歴史に触れる人が一人でも多く現れ、有効利用されることを期待しております。

最後に、南川さんの一言 … 調べたいことがあって、『山岳』や会報のバックナンバ―に目を通している。再発見しきりで、『山岳』・会報は山の情報の宝の山であると、改めて思う。図書室も然り。ただし、宝は足元にころがっているものではなく、石の中から探し出すもの。(2024年6月24日発行 緑爽会会報No.192 総会時の近況報告より)     以上

寄贈者 酒井田様との出会い              会員番号15573  濱野弘基

酒井田様は、ご高齢となりご自宅での独居生活が厳しくなり施設入所をされておられました。私は直接に酒井田様とご面識はありませんでした。しかし、私は、その施設に入居される別のご利用者様の生活支援員として月に1回だけですが、身上監護や通帳管理の仕事で施設訪問をしておりました。          そんな時、私の上長である方が、私が定期訪問する施設に、かつて山とカメラを趣味にして山岳活動をされていた入居者がおられ、施設入居をしたことで近々ご自宅を処分する。それに際しては、ご自宅に相当量の山岳用品があり、価値のあるものなので主から山岳会へ寄贈の申し出があると伺いました。上長は私が社会人山岳会に所属していることを知っていた為、一度自宅へ見に行ってもらえないかとの相談を受けました。私は山岳用品のプロではないですが、福祉関係職員としてご自宅に立ち入ることが出来た為、私の方で車に積める物は全て積載し職場倉庫へ持ち帰った次第です。後日、多摩支部の石井さんと坂本さんに相談したところ、中身を見て価値あるものであれば、奥多摩BC等に保管が可能と伺い、2017年5月27日(土)私と日程を合わせて私の職場倉庫に車で見に来て頂きました。結果、それ相応の価値のある品々ばかりであり全てを坂本さんの車に積載し、その日のうちに奥多摩BCへ運搬を頂いた次第です。           後日、私の上長と共に、主(酒井田様)のご意向どおりに価値あるものとして、日本山岳会東京多摩支部に寄贈されたことを居室でベッドに横たわる主にご報告をし、主が大変喜ばれていたことが今でも目に焼き付いています。この件では、社会福祉団体の職員としても、日本山岳会の会員としても、私自身が公益に資する取組をさせていただけたこと、そして、その実現にご協力を頂いた皆様に心から感謝をしております。 ありがとうございました。                                    この件から程なくしてご逝去された酒井田様には心よりご冥福をお祈りいたします。

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