報告)神長幹雄氏講演会 『冒険家と6つの旅の物語』 開催される

神長幹雄氏

日本山岳会東京多摩支部では、2022年3月21日(祝)10時から、神長幹雄氏による演会『冒険家と6つの旅の物語』をリオンホール(国分寺市)にて開催した。定員100名に対し133名の申し込みがあり、募集終了前に定員を大幅に上回る盛況だった。参加者数は108名で、会場はほぼ満席だった。一般の方にも広報し、ヤマケイオンライン、新聞、地域タウン誌(多摩マリオン・asacoco)などによって、一般の方にも広く広報し、参加者の約半数は会員外の方だった。

神長氏は、「山と渓谷」編集長を経て、山岳図書の編集を数多く担当された。2010年、定年退職後は編集者として接点のあった6名の日本人冒険者たち、植村直己加藤保男、山田昇、長谷川恒夫、小西政雄、河野兵一の軌跡を辿る旅を始めた。冒険家や辺境の人々の話に耳を傾けるなかで、記録し、検証し、残すことの重要性を、編集者として再確認されたそうだ。これらの旅は深く心に刻み込まれ、著書「未完の巡礼」に纏められた。本講演では神長氏しか知ることのできない、彼らの一面を聞くことができた。また冒険者たちそれぞれへ向けたまなざしは、山岳の歴史のひとつとして、後世への記録となって残っていくことを感じた。

会場で「未完の巡礼(2018)」、最新の著書「日本人とエベレスト(2022)」、「写真で振り返る日本人のエベレスト(2022)」各10冊を販売した。完売した売上は、東京多摩支部へ寄付していただき、感謝である。

アラスカの犬ぞり

アンケートでは「講師の方の幅広い経験と人柄が良く表れた講演だった」「冒険というダイナミックな世界の知らない扉を色々知ることができてよかった」「記録の大切さを身に染みて感じた」「小西政継や植村直己やハセツネといった、鉄の男と言われていた熱い時代の熱い人たちの話を思い出した」など、好評だった。

なお、会場には昨年10月24日の「山*フェス」で展示したパネル7枚を再展示したが、熱心に見る方もいて、支部の活動が伝えられればと願う。

東京多摩支部恒例の講演会は、コロナ禍により休止をしていたので、前回2020年1月から2年ぶりとなった。まん延防止等重点措置の解除の前日であり、感染防止対策に注意し、リアル講演会実施にこぎつけることができた。久しぶりのリアルの開催に喜ぶ声が多数聞かれ、開催して良かったと安堵した。ご協力を賜った多くの方にお礼申し上げる。            

  (総務委員会 茂呂よしみ、菊地美奈子)

 

マナスル

マッキンリー

 

 

 

 

 

 

6人の講演概要  茂呂よしみ

『6人の冒険家』は『こだわり』を持っていた

植村直己氏1941~1984 単独行

日本山岳会エベレスト登山隊として初登頂を果たす。5大陸最高峰登頂 北極圏12000km単独行 他。

単独行への拘りは、人への気遣いのため自らの行動を抑制してしまうことから逃れるためであった。

加藤保男氏1949~1982  世界最高峰エベレスト

世界初南北両面からと春、秋の登頂実績を持つ。1982年世界初3シーズン登頂者となるも直後に消息を絶つ。

山田昇氏1950~1989   8000m峰14座

「登山家」としては遅れてきた世代。8000m峰14座のうち9座に12回登頂。5座は無酸素登頂。39歳マッキンリーで遭難、その後のスケジュールも組まれていただけに惜しまれる遭難であった。

 

フンザ

グリーンランド

長谷川恒夫氏1947~1991  未踏峰

アルプスでの活躍とヒマラヤでの不運が対照的であった。アルプス三大北壁では単独が際立つ。ヒマラヤ難ルートを1人挑んだ。「世界初三大北壁登頂者」というプライドがそうさせたのであろう。1991年未踏の難ルートからウルタルⅡ峰への挑戦で雪崩により命を落とした。体力の衰えと「初登頂」のせめぎあい、植村氏と同様年齢への焦りがあったかもしれない。共に亨年43歳であった。

小西政雄氏1938~1966  無酸素

「時代をリードした9人の登山家」特集で日本の登山界を世界レベルに引き上げたいと熱い思いを語った。大きな成果を得たがエベレスト無酸素登頂では8750mで断念、その時44歳。無酸素登頂の厳しさを熟知していたからできた撤退であった。その後、酸素を使い一般ルートを登頂する楽しみを見出した矢先、マナスルで行方不明となる。

河野兵一氏1958~2001  単独徒歩

外の世界へ憧れ資金調達に苦しむも7 年半に渡り広く世界を旅し日本人初の単独徒歩北極点到達を果たした。2001年北極点から帰路の途上、北極海で遭難した。

 

 

 

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