報告)中辺路と大峯南奥駈を歩く―120周年記念熊野古道集中登山に多摩支部も参加ー

5月第3週に120周年記念熊野古道集中登山が本部主催で開催された。多摩支部は大峯奥駈と熊野古道中辺路に参加した。

古道PTを中心とした石井ら7名が中辺路(赤木越・大日越)、植草、齋藤、石川(由)3名が中辺路(雲取越)、野口ら2名が大峯南奥駈、それに土井(友)は本部隊として中辺路(近露~本宮)を歩いた。他に近藤、永田、松本(博)、高間の4名がスタッフとして裏方を担い、多摩支部から総勢17名が参加した。

(古道PTチーム)

 

本支部パーティー7名(L石井、稲富、松本(賀)、佐々木+女子2名、山根)は18日9時に発心門王子を出発し、赤木越に向かう。音無川沿いを歩き、順調に猪鼻王子を通過し、なべわれ地蔵に着く。ここで女子の水筒の水がザックの中でこぼれる事態発生。「これはなべわれ地蔵のいたずらか!」と一同どよめく。松本さんによれば不思議なことが次から次へと起こり、良い方に導かれるようだったとのこと。柿原茶屋で大休憩し、13時頃、湯の峰温泉着。ソフトクリームを食し、暑さと疲れが癒される。午後は大日越に入る。リーダー曰く「力が抜ける」ような話題で、年少女子たちと盛り上がっているうちに鼻欠地蔵を越える。少々急ぎ月見ヶ岡神社を経て、大斎原に15時過ぎに到着。集ってきた約120名とともに集合写真。ホテル浦島へバスで向かう。宴会は盛況で、参加者は誇らしげだった。(山根伸洋)

(大峯南奥駈)

16日に、野口(い)と山下(和)は、新宮山彦グループさんのお世話になり大峯に向かった。途中、瀞で有名な三県境に立ち寄った。猫のキナコが留守番をしていた。持経ノ宿から転法輪山、倶利伽羅岳、行仙岳を越えて行仙小屋に行き、宿泊。小屋は40人ほども泊まれるそうだが、この晩はほかに一人のみ。水汲みに急坂(崖?)をピストンし、薪ストーブの避難小屋の風情を楽しんだ。

17日は5時過ぎに小屋を出発し、笠捨山、地蔵岳などを越えて玉置神社まで歩いた。笠捨山からは山並みが重なって連なり、東に大台ケ原などが見えた。この日は前半は険しい所もあったが、後半は歩きやすい道で距離が稼げた。

玉置神社は観光地だが、意外とワイルドだった。境内で東海支部の方に会った。高橋支部長が奥駈を走っている(?)が、天候が悪くて遅れていると心配そうだった。十津川温泉の民宿に宿泊し、関西支部と交流した。

18日は4時半に玉置辻を出発した。このルートは30年ほど前は荒廃して歩く人がいなかったそうだが、新宮山彦グループのご尽力で復活したとのこと。出発時に岐阜支部隊12,3名と会ったが、一行は足が速く、あっという間に見えなくなった。大森山から始まり、五大尊岳、大国天神岳など、あまたの急なアップダウンを越える。さすが、修験の場の所以か。「玉置神社を過ぎて終わった」感があると厳しそうだ。山在峠で新宮山彦グループのサプライズの接待があり、エイドでコーラなどをいただき元気になった。9割以上がコーラを選ぶそうだ。ここで、東海支部4名と会った。40分前に岐阜支部が通過したそうだ。さらに七越峰を越えた。

最後は音無川をはだしで渡渉して身を清め、14時前に大斎原にたどりついた。はだしの渡渉は痛いと聞いていたが、さほどではなく、冷たくて気持ちが良かった。濡藁沓(なんと風流な言い方!)で熊野本宮に参内した。3日間とも天候に恵まれ、42㎞を歩き、野口は大峯奥駈をコンプリートした。(野口いづみ)

(19日フィナーレ)最終日は小雨だったが、それぞれに那智大滝、熊野速玉神社、神倉神社などに行き、充実した熊野遠征を締めくくった。野口、植草、齋藤は伊勢路に足を延ばした。松本峠まで風情のある石畳が続いていた。松本峠の大きなお地蔵さまの左裾には、江戸時代に妖怪と間違えられて鉄砲で撃たれたという傷が残る。鬼ヶ城は海沿いで、海風は山中にいた私たちに新鮮だった。(野口いづみ)

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