日 時
2023年2月20日(月)
天 候
晴 れ
参加者
14名/GL本多、L石塚、SL小清水、SL小口、SL辻橋、岡、川村、河野、佐藤(登)、高橋(郁)、高橋(重)、冨澤、原、松田、
特別参加 : 2名/ 西谷(隆)、西谷(可)
行 程
羽村駅(9:40)→まいまいず井戸→稲荷神社→禅林寺・中里介山の墓(10:40)→羽村取水堤(11:00)→羽村市郷土博物館(11:35)→羽村神社→(12:15)浅間岳(昼食13:00)→朝日山妙見堂(13:55)→八雲神社(大澄山登山口14:20)→(14:50)大澄山(192m峰 15:00)→草花神社(15:15)→(15:25)下草花バス停(15:40)=(15:50)福生駅 歩行時間約4時間
記 録
今回は、「多摩百山」の最後(45番目) のコースとして、また「浅間岳」は100番目の山として紹介されているコースを歩きました。あきる野市が発行した冊子「秋川渓谷」(当日、本多GLが全員に配布)にも掲載されていて、多くのハイカーに親しまれています。
先ず羽村駅前の「まいまいず井戸」(まいまいとはカタツムリのことで、地表からすり鉢状に掘り下げ、底の部分からさらに垂直に掘った井戸で、武蔵野台地でよく見られ、古代から利用さている)、稲荷神社、禅林寺(中里介山の菩提寺で、裏の墓地には介山の墓がある)、などを見学して玉川上水取水堤に至る。徳川幕府の命令により玉川兄弟が突貫工事で作ったこの上水は、江戸の繁栄の基礎を築き現在でも狭山湖・多摩湖経由や小平監視所経由で、東村山浄水所に送られ都民の喉を潤していることはご存知の通りです。
これらを見学した後、取水所近くの羽村堤下橋(人、自転車のみ)で多摩川を渡り、羽村市郷土博物館で近くに住む支部会員の西谷夫妻と合流。西谷隆亘氏は、数年前から体調を崩し、そのリハビリで介護役の奥様と一緒に良くこの地を歩かれているとのことで、完全な登山服装のお二人の案内で、浅間岳への途中まで歩きました。本隊にも、米寿を過ぎたレジェンドや、傘寿を超えたレジェンド予備軍が多く、短い時間でしたが、久しぶりの対面で、旧交を温めながら登山を楽
しむことが出来ました。これこそ「低山をたのしむ会」に相応しい山行ではなかったかと思います。再会を期してご夫妻と別れた後急坂を登りきると、間もなく丘陵の稜線にある羽村神社・隣の浅間岳(235.1m)に着き、東屋と沢山のベンチがある山頂でのんびり昼食をとる。
午後は、左手の林間の所々で、羽村や福生の街並みが多摩川越に見渡せ、右手は、立川国際CCの広々した芝生を見下ろし、こんなところからティーショットが打てたらさぞ気分爽快だろうなと勝手な想像を巡らしながら、緩やかな丘陵の尾根を下る。この季節、花は期待できないが、ゴルフ場のフェンスとは反対側に、ピンクの穂綿のコウヤボウキを見つけ、普通は白が多いのに珍しいと話題になった。
やがて、朝日山妙見堂(172m)への巻き道を過ぎると、K字の分岐点があり、道標に「大澄山0.7km」と書かれたほぼ直進の緩やかな下りコースを辿るとすぐに、都道250号線と29号線の信号のある大きな交差点に出た。信号を渡り都道29号線を500mばかり行くと、空き地の真ん中に「折立会館」という大きな看板や、沢山の石碑の脇に、東京都が建てた「大澄山0.4Km」の道標がある。そこを右折すると正面に八雲神社があった。神社の右隣に木製の立派な階段があり、その上は整備された登山道になり急な坂道を登りきると(標高差80m程度)丘陵の尾根道にたどり着いた。そこの道標に書かれた、「大澄山0.2km」のコースを辿る。武蔵野の雑木林がずっと続いているような、夏でも涼しそうな、落ち着いた稜線歩きを楽しめた。右側に分かれる幾つかの道標のない枝道があったが、広い登山道を直進して、鞍部の右手にある墓地を過ぎ、短いが急坂を登り切ると、今日の2つ目の目標の山「大澄山(192m)」である。山頂は広々としていて、あずまやもあり、つい休憩したくなる所だ。
ここは、大澄山見晴台と呼ばれていた所で、東側の林間から、福生の街並みが見下ろせるが、西側は右手に(大澄山)203m峰とそれに続く尾根により見晴らしはよくない。一服後、最後の下りにとりかかる。左に慈勝寺への道を分け、草花神社では、急な長い階段を避け、巻道を経由して都道165号線に出てバスで福生駅へ、そこで解散となった。
いつも反省会のみ参加の方々も、途中でショートカットする方々も、今回は全員が完歩しました。また、リハビリ中の方も一部分でしたが特別参加するなど意義ある山行になりました。(文/岡義雄、写真/石塚嘉一)