東京多摩支部会員の小野勝昭さまは、
かねてより病気療養中でしたが、令和6年5月23日、享年80にて永眠されました。
謹んでお悔やみ申し上げます。
小野様は長年、支部で山行委員会委員長と担当幹事を担われ、指導力を発揮してご活躍されました。
なお、ご子息の喪主小野芳正さまより、葬儀および告別式の会葬はご遠慮いただきたいとのお申し出があり、5月28日に近親者のみの家族葬にて執り行われました。
支部からは弔電をお送りさせていただきました。
追悼 小野勝昭さま
(石橋學氏)
小野勝昭さん(No.8199)が5月23日にご逝去された。小野さんは明治大学山岳部で植村直巳さんの薫陶を受け、国内外の山々と深く関わり、ヒマラヤの高嶺にも登頂した。東京多摩支部には設立時から参加し、ながきに渡って山行委員会の活動に力を尽くした。全ての会山行に参加することにこだわり、山行で会員の人達と山での行動と時間を共にしてきた。山で登降が辛くなる人がいたらその人のザックも一緒に担いでフォローし、岩壁・岩稜の登降では年齢を感じさせない姿を見せていたことが印象深い。
山とともに在り続けた小野勝昭さん、お疲れ様でした。安らかにお眠りください。
(高砂壽一氏)
小野さんのご逝去に接してあまりにも早すぎる別れに言葉がありません。
リーダーとしていつも謙虚で礼儀正しく、私よりも一つ年下だと知ったのは出会ってから1年以上過ぎてからの事でした。
委員会の会議の時もしずかに皆の意見を聞いてから静かに穏やかな口調で話し始める姿が印象的でした。耳が不自由だったせいなのかも知れませんが、自分から積極的に先んじて意見を述べるような姿はありませんでした。若い頃に板前修業で叩き込まれた精神と相手を立てる躾のようなモノを持ち続けられてきたからなのでしょうか、大柄な身体の割には繊細な神経の元主に感じました。
山道を歩いている最中でも、子供のようにはしゃいで見せたり、じっと物思いに耽りながら煙草を吹かしてみたり、何を考えているのだろうかと思わせるような仕草を感じたのは私だけではありませんでした。