報告)5月平日山行「宝篋山」

~鎌倉時代に栄えた~

【日 時】

2024年5月23日(木)

【天 候】

晴れ

【参加者】

L副島、SL鬼村、金山、川島、清水 計5名

【行 程】

土浦駅8:25=(バス)=8:58宝篋山入口→09:03小田休息所9:17→(極楽寺コース)→11:20宝篋山11:55→(常願寺コース)→14:02小田休憩所→小田城跡→小田15:23=(バス)=15:57土浦駅

【記 録】

あぜ道を行く

畦道をいく

土浦駅西口バス停には通学通勤の方々が長く並んでいましたが、下妻駅行のバスには後方に居ました我々も座れました。宝篋山入口付近は、鎌倉時代に常陸南部を治めていた小田氏の居城の近くに極楽寺が建立され、奈良の西大寺の僧が十年間留まり、関東の真言律宗の拠点として発展、栄えました。西大寺の石工が頂上で花崗岩を彫り、山頂より見渡せるところに棲むすべての生類を極楽浄土へ導く祈りの塔として、宝篋印塔を建立したそうです。小田休憩所でトイレ、体操して出発、極楽寺跡の五輪塔を見学、広葉樹林の小川は周囲の田を潤す程の水流で、何か所も名前の付けられた滝があり、無風でしたが涼しく歩けました。

生類すべて極楽浄土へ

 

鎌倉時代の建立、宝篋印塔

 

 

 

 

 

山頂にて

 

 

 

 

 

 

 

頂上で筑波山、霞ケ浦、を望み、ユックリと昼食、宝篋印塔の前で記録写真を撮り、頂上側の宝篋城跡を見学して、常願寺コースの長いが、土の滑る様な急坂が多く、足を置く場所探しに難儀しましたので大汗をかきました。帰路、小田城跡と歴史広場案内所で、展示物を見学しました。(文/副島・写真/鬼村)

 

【感想】

新緑におおわれた宝篋山へ、田植えを終えたばかりの田んよぼのあぜ道からスタート。長閑でカエルの鳴き声とともに、爽やかな風が、心地良かった。低山ながら、岩と山水が豊富で、変化があり、楽しめた。頂上では、筑波山、霞ヶ浦と広大な関東平野の景色に感嘆!80歳代のご夫婦が、宝篋山の魅力を話してくれ、毎週のように登っているとのこと。羨ましい!下山後は、お寺と見間違うほどの立派な瓦屋根のお屋敷通りを抜けて、小田城跡を見学。おもいがけず、つくばの歴史にふれました。委員の皆様、ありがとうございました。(川島)

久しぶりに平日山行に参加してバス停に着くといつもの方々の顔ぶれでホッとしました。バス停には、行列ができるほどの人で溢れていた。バスを降りる頃には、数名で、宝篋山に向う人は、少なかった。自分も茨城の山は、筑波山しか行ったことがなく、宝篋山なんと読むの、どこの山と言う感じでした。バス停を降りると、田んぼだらけの前には、高尾山にも標高が満たない宝篋山がどっしりと構えていた。登山道を歩いて、いると小さな滝がところどころにあり心を癒やしてくれる。カエル岩ゃコブシの大木付近を過ぎ純平歩道を東に進み山頂へ向う。山頂に近づくに進み登山客が多く見られた。山頂に着くと霞ヶ浦や筑波山など名前のしれた名所がよく見え最高でした。昼食を済まし下山途中尖浅間山頂によりまた読めない字が出てきて皆なんて読むのかと言っていた。下山途中田んぼの畦道を通り下山した。帰りは、小田城址公園により歴史を学んだ。山行委員の皆様楽しい山行ありがとうございました。また魅力のある山行をおねがいします。(金山)

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